|
翌日、地図に描かれた駅に着いた時には、冬の陽はすでに西に傾いていた。都心に程近いが、治安がよくないため、特別な用事でもない限り、誰も利用しようとしない駅だった。私も車窓から街を眺めたことはあったが、下車してみるのは初めてだった。
改札を出ると人並みは繁華街のほうに吸い込まれるように消えていった。私は地図に従い、ネオンに背を向けて地下道への階段を下りた。長く薄暗い通路が、駅の裏側に向かって伸びていた。閑散としたトンネルの中を私はひとりで進んだ。
一歩ごとに、道幅は狭く、異臭が鼻をつくようになった。道の両脇に、うず高くダンボールが積まれていた。ダンボールの隙間から、汚れた毛布にくるまった老人の灰色の顔が覗いていた。折り重なったダンボールの通路を通り抜けることは困難だった。両肩が老人たちの住居をかすめ、崩した。酒瓶が転がった。男が呻き声を上げた。ひとりの老人が、私に向けて嘔吐した。私は足早にトンネルを抜けた。
地上に出ると、何かの境界線を超えたように、ふっと空気の匂いが変わった。土埃と腐りかけの南国の果物、安い揚げ油と汗の匂いがひとつになって、あたりに立ち込めていた。遠く、ヴァイオリンの音色が聞こえた。
街灯が切れた暗い街を、ガード下の屋台からもれてくる明かりを頼りに、ゆっくりと歩いた。人種のわからない褐色の肌の男たちが私の脇を通り過ぎた。
崩れかけたコンクリートの建物が立ち並び、割れた窓ガラスの破片が道に散らばっていた。さまざまな言語が入り混じった会話が屋台から聞こえてきた。通りに掲げられた看板もそうだった。理解できる言語もあれば、初めて目にする言語もあった。高架沿いの暗がりで、黒い衣服を身に纏った一群の男女が、異国の節の付いた言葉を唱えながら地面に体を擦り付けていた。彼らの後ろの壁には、粗雑な印刷のポスターが貼られていた。外国人を虐殺せよ。赤く書き殴った文字が、この街で私が最初に目にした日本語だった。
私は地図を見ながら、迷路のように入り組んだ街を奥へ進んだ。
あの角を曲がると狂ったようなピンク色のアパートが見えてくる。
いきなり日本語で話しかけられ、私は立ち止まった。狭い小路の暗闇に小さな行灯が見えた。近づくと、明かりの向こうに白髪の老人の顔が浮かんだ。白い布をかけた机の上には、筮竹の束と水晶玉。行灯には、占いを意味する言葉が何か国語かで書かれていた。
お前の探している場所はそこの三階だ。お前はあそこで働く。
占い師の老人はそれだけ言うと口を閉ざした。私は地図を確かめ、老人に教えられた角を曲がった。
狭い路地にはたくさんの女たちがいた。濃い化粧と着飾った様子から一目で娼婦と知れた。
真冬にもかかわらず、彼女たちは毛皮の前をはだけ、素肌を外気にさらしていた。建物と建物の間にうずくまり、男の相手をしている半裸の女性の姿が見えた。原色の下着が街灯の下に脱ぎ捨てられていた。時間がまだ早いせいか、通りを歩く男の姿は少なかった。
ひとりの若い娼婦が近づいてきて、私の手を取り、褐色の胸の谷間に差し入れた。荒れて、冷えきった肌が手に触れた。私は黙って振り払い、若い娼婦のそばを離れた。
老人の言った、狂ったようなピンク色のアパートはすぐに見つかった。五階建ての崩れかけの建物で、コンクリートの壁は粘膜の色に塗られていた。
アパートの入り口でひとりの娼婦とすれ違った。背が高く、緑色に染めた髪を腰のあたりまで伸ばしていた。天使(アンジュ)、遅かったじゃないか。男の声に振り返った時には、その体はすでに客の腕の中だった。レプリカントのように美しい肢体が男の腕に巻き取られていくのを見ながら、私は原形をとどめていない階段を上った。錆びてほとんど宙に浮いている手すりの脇を何匹かの鼠が通り過ぎて行った。
三階のドアはひとつだけだった。不規則に明滅する蛍光灯の明かりの下で、ペンキの剥げたドアに書かれた文字を読んだ。いくつもの言語で同じ言葉が書かれていた。
告白聞きます。虚実不問。秘密厳守。
私はチャイムを押した。
|